法光寺の歴史
湯尻法眼和尚

当山開基 湯尻法眼 和尚

 まだカメハメハ大王がハワイを統治していた18世紀、ラハイナはハワイ王国の首都として栄え、19世紀初頭には捕鯨船の補給基地としても賑わいました。
 その後は砂糖キビのプランテーションを中心とした農業の町になるなど、ラハイナは時代の流れに伴い、幾度と無く繁栄と衰退を繰り返してきました。第二次世界大戦後、近郊のリゾート開発によって、いにしえの街として復興し、今なお当時の面影を失わないロマンチックな港町としてマウイ観光に欠かせない街となっています。

 そんな古い町並みの一角に法光寺は小さいながらも、凛とした姿で人々の生活を見守っています。外見は日本で言う「お寺」というより教会のようで、愛らしささえ感じる建物ですが、プランテーション時代を懸命に生き抜いた日系開拓民のまぎれもない信仰の結晶なのです。
明治元年に始まる日本からの開拓移民の人たちは、日本から遠く離れたハワイで、プランテーションによる過酷な労働を強いられていました。開拓民は環境、言語、文化が違うなかでも力強く生き抜くために、日本への郷愁の念とともに日本での信仰そのままに弘法大師像をお祀りして「お大師講」を持ち、それを心の支えとしていたのです。
 1902年には開拓民の一人で真言宗の僧侶でもあった湯尻法眼師(左写真)が、耕地で働く同信の協力を得て、各キャンプ(耕地宿舎)に祀られていた大師像を合祀し、10フィート四方の家を借り入れ大師堂とされました。これが法光寺の基であり、その後ハワイ各地に建立される真言宗寺院の中でもっとも歴史の古い布教道場なのです。

 1926年11月3日には京都醍醐寺から「馬哇山法光寺」と寺号公称を認可され、正式に寺院としての本格的布教活動が始められることになりました。その後も本堂の改修や新築、あるいは境内地の拡張など、日系人が中心となって法光寺の護持発展に勤め、常に日本から開教師を迎えて弘法大師との同行を続けてきました。現在の本堂およびホールは1952年の法光寺開創50周年の記念事業として建立されたものです。 100年以上を経過した現在の信仰は、3世、4世を中心とした日系人だけにとどまらず、純粋なアメリカ人やフィリピンや韓国などから来られた新しい移民者など多国籍の信仰となりつつあります。
 その一方では、観光地として「Lahaina Historic Site 51 (ラハイナ観光史跡 第51号)−Buddhist Church of the Singon Sect−」にも指定されており、アメリカ本土をはじめとする世界中から観光客が訪れ、本堂内に漂うお香の薫りや仏教寺院の持つ独特な空気と雰囲気を楽しんでいるのです。 ゆったりとしたラハイナの空気の中に漂うお香の薫りは、今私達が忘れかけているものをきっと再び呼び覚ましてくれる事でしょう。ハワイに、マウイ島に来られる時は是非一度お立ち寄り下さい。心よりお待ち申し上げております。

合掌
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